改めて気付く存在の大きさ

コリョ・ジャーナル

「男」がいた。

普段目にする公開された映像の中では、男の笑顔を見ることは殆どなかった。 いつも険しい表情で、肉声も殆ど公開される事が無かった。 そう、表向きでは。

男はその人生において、絶えず難しい舵取りと決断を迫られた。

男の先代は、所属クラブチームの、世界のスーパースターであり、群を抜く実力と実績、カリスマを持っていた。

ゲームのパワーバランスが崩れ形勢が不利に傾く中、先代は一発逆転の構想の下、自身が、執拗な反則攻撃を仕掛けて来る敵キャプテンと直に渡り合う事による局面の打開と転換を図った。

この計は成功するものと思われた。 だが無情にも、成就の直前に先代は亡くなり、それに乗じた敵の攻勢は激しさを一気に増した。 敵の圧力に屈したチームメイトらは続々と寝返った。 かつて男が所属していたチームは崩壊、チームメイトは一人また一人と離れ行き、「親友」と目された者らも男を裏切った。

先代はあまりにも偉大な存在だった。 その突然の死という予期せぬ形で重責を一気に担うことなった男の苦悩は如何ほどのものであったろうか。

敵は、先代の遺志を引き継いだ男を孤立圧殺させる為、最大限の圧力と制裁を男に加えた。 だが、男は決して怯まなかった。 この苦境を生き抜き、将来的に逆襲を仕掛ける為、守りを固めて力を蓄えることに徹した。

敵の攻撃は執拗かつ悪質、自然災害までもが長きに渡って重なり、男の闘いは困難を極めた。 その過程で、男は愛する者たちに本意ならずも少なからぬ人的物的犠牲を強いざるを得なかった。

男は、愛する者たちに我慢と忍耐を強いざるを得ない己を責めた。 そして、必ずこの苦難に打ち勝ち明るい未来を切り拓いて見せると、絶えずその胸に刻んだ。

男は昼夜を問わず、寝る間も惜しんで活動した。 体を壊し病に倒れても、不屈の信念と闘志で立ち上がり、周りの制止を振り切って精力的に働いた。 そして、志半ばでその道に殉じた。

男はいつも、カーキ色の作業着のようなジャンパースーツを着ていた。 男は先代の遺志を受け継いだ後、スーツにネクタイの正装をすることはなかった。

それは、愛する者たちに苦労と我慢を強いざるを得ないに、自分だけが着飾っていられるか、彼らを苦難の行軍から解放するまで、勝利を勝ち取るまで、自分は駆けずり回り続けるという男の決意の表れだった。

男が全身全霊を賭けて闘い築いた財産はその遺志と共に今、息子に引き継がれ、花開こうとしている。

彼は、男が命を賭けて築き守った礎を基に完成させた強力な切り札を手に、宿敵と対等互角の駆け引きを繰り広げ、その孤立圧殺政策を打ち破って、今、勝利しようとしている。 男と、その先代が果たせなかった「世紀のパラダイムチェンジ」を成し遂げようとしている。

勇猛果敢な彼の攻めの外交は、男が地道に築き上げた財産があったからこそ可能になったものだ。 今更ながら、男の凄さを改めて感じさせられるばかりだ。

まもなく二回目のトップサミットが行われる。 パラダイムシフトが起こり、世界を驚嘆させるだろう。

2月16日。 男が生まれた日。 存命ならば77歳。 時折見せた人なつっこい笑顔が、ふと頭に思い浮かんだ。 そして、改めてその存在の大きさに気付かされた。 男の存在なくして、今日の「戦略国家朝鮮」は存在しえなかっただろう。 金正日総書記、そういう人だった。(Ψ)

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元記者。 過去に平壌特派員として駐在した経験あり。 当時、KEDOの軽水炉建設着工式で、「星条旗よ永遠なれ」をBGMとして意図的に流しながら薄ら笑いを浮かべていた韓国側スタッフに対し、一人怒りを覚えた事も。 朝鮮半島、アジア、世界に平和な未来が訪れんことを願う、朝鮮半島ウォッチャー。 現在も定期的に平壌を訪問している。